From: Yoda Kingoro <y-kingo@jcom.home.ne.jp>
Sent: Sunday, May 16, 2021 9:04 PM
凄いな この類いの 建物など 昨年 スーパーの隣で見ました。
立派な 文化遺産だと思いましたが、朽ちかけてましたね。
依田 欣五郎(62期)
From:
jim_nomura@yahoo.com <jim_nomura@yahoo.com>
Sent: Sunday, May 16, 2021 10:07 PM
、
大変にの貴重な郷土の歴史をお知らせ頂きありがとうございます。
このような栄誉ある故郷があることに改めて感謝しております。
旧上田蚕糸専門学校の写真を添付します。
野村 一 (64期)
From:
小山 平六 <kannazuki-6318@kxb.biglobe.ne.jp>
Sent: Sunday, May 16, 2021 10:08 PM
本質的ではありませんが、関係する話しとして以下メールさせていただいます。
上田蚕糸専門学校開校物語によれば、
与良熊太郎は明治13年(1881年)に20歳ですから、逆算すると文久元年(1861年)の生まれです。
熊太郎は信濃国佐久郡小諸町字与良の生まれとあります。わたしの生家も与良ですので同じ町です。
(現在は小諸市与良町)
確か、八幡神社と熊野神社の入口近く(野岸小学校のプールのある側からの八幡神社と熊野神社の
入口に与良熊太郎の石碑があったと思います。)
何が書かれているか定かでありませんが。
小山姓と与良(與良)姓はその昔、同族関係だったと思います。詳しくはわかりませんが。
今でも与良町に与良さんという家があります。
小山でも死亡すると、俗名を小山でなく、與良と変へる家があります。(私の家もそうです)
ちなみに、私の父の位牌の裏側には「俗名 與良栄一」と書かれています。
(生前は小山でしたが、死ぬと與良に変へます。どうしてかわかりませんが)
小山 平六 (62期 赤松 小三郎研究会事務局)
携帯:070−2685−2384
Kannazuki-6318@kxb.biglobe.ne.jp
From: muchimutoku <muchimutoku@ybb.ne.jp>
Sent: Monday, May 17, 2021 6:55 AM
貴重な資料を有難うございました。
小県蚕業学校の初代校長、三吉米蔵の父が寺田屋事件で龍馬を救った三吉慎蔵だったことや、高知の坂本龍馬記念館を訪れた際に、三吉慎蔵にあてた龍馬の手紙の存在を知りましたが、その原本が三吉家に何通か残されていて、何年か前に「開運!おたから鑑定団」に出されて数千万円の価値があるとされた事などが思い出されました。
故・岡崎 光男君が幹事になり、地元医師会を中心にして山極 勝三郎博士顕彰会を立ち上げ、いまも活動が続いていますが、この繊維学部誕生の由来は地元にいるのに知らないことばかりでした。
母上が蚕糸専門学校を卒業したという友人がいますので、さっそく知らせようかと思います。明治生まれの女性が卒業生にいるというのも、非常に珍しかったのではないでしょうか。
長谷川 浩通(54期)
From: S.Yamazaki
<shige.ym7384@ck.tnc.ne.jp>
Sent: Monday, May 17, 2021 9:22 AM
貴重な興味深い資料を有難うございました。
産業高校は家が近かったこともあり、果樹園の垣根のカラタチをとったり、学生が帰りに持ち帰ろうとして
垣根の根本に隠しておいた果実を失敬したりしたことを思い出します。
山ア 茂幸(54期) 2021.05.17
From: k.shimizu <shimizuk@econ.keio.ac.jp>
Sent: Monday, May 17, 2021 9:58 AM
大変貴重な資料をお送りいただき、ほんとうにありがとうございました。
私は繊維学部の卒業生ですが、その前身である上田蚕糸専門学校創立に関する経緯についてはよく知らないまま現在に至っていました。自分の無知にただただ恥じ入るばかりです。
お送りいただいた資料をプリントアウトし、何度も読み返してみました。興味を引かれることだらけでしたが、その中でも特にひかれたのは、上田に設置されるに至った経緯と当時の社会状況をのべた、
「勝利した日露戦争は戦費に40億円(現在の金額に換算すると40兆円)を要した。(賠償金は取れず)割譲を受けた南樺太および併合した朝鮮統治にも莫大な費用が掛かり、国家財政は<破産状態>であった。その窮迫を理由に専門学校の設置場所を府県間に競わせる方法を探っていた。内定を得た県はさらに各市・町に寄付負担額を打診するとして誘致合戦を意図していた」、の箇所。
司馬遼太郎の小説、<坂の上の雲>、では日露戦争勝利を明治維新以降の日本の歴史の中で<最も輝かしく誇らしい出来事>として取り上げています。しかし、日露戦争で勝利したのは<戦闘>についてであり、経済的側面で見ると<大敗北>であった、という実態がよくわかりました。
Wikipediaなどを見ますと、日露戦争の戦費は開戦前年の歳入2.6億円の5倍の13億円、そして戦死者は病死者も含めると8万人余り、と記されています。でも、実際の戦費はその3倍、つまり<年間の歳入の15倍>にもおよんだ、ということを知りました。その後日本が先の大戦に至った経路をみて、孫子の言葉、「百戦百勝するも、戦わざるにしくはなし」、を思い浮かべています。
本当に素晴らしい資料をお送りいただき、ありがとうございました。
清水
健一(63期)
追伸。
余談ですが、上田高校で漢文を教えられておられた竹内敬太郎先生は上田蚕糸専門学校初代校長・針塚長太郎先生と縁戚関係にあります。竹内敬太郎先生の2番目の娘さんは繊維学部の物理学教室・飯塚英策先生のところで教務員をされていました。
私は、卒業研究で会田源作先生のところに配属されたのですが、希望して飯塚先生のところで生体高分子の研究をしました。といってもサボってばかりの、ダメ学生の典型でしたが。私の家内は上田中学で英語を教え、その後信州大学繊維学部に移った中村六男先生の三女です。私は英文法を教わりました。
From:
林隆男 <h.t.ryu16079@gmail.com>
Sent: Monday, May 17, 2021 12:03 PM
何時もありがとうございます。
今回の件関連は全く知らない事ばかりで、驚きをもってやみました。
さらにいろいろの資料は千曲会にあろうかと思いますので、上田に
帰った節には千曲会に行きお聞きしたいと思います。
大変興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
林 隆男(58期)
From: mitsuyoshi kobayashi
<back-m43@rondo.ocn.ne.jp>
Sent: Tuesday, May 18, 2021 5:08 PM
珍しいニュースありがとうございました。
家でも蚕を飼っておりましたので(ために「蚕糸の光」という雑誌を取っておりました)、このニュース人一倍興味深く拝読いたしました。
コロナに猛暑のダブル災害ですが、上田健児の息で宇宙の果てまで蹴とばしてやりましょう。
ご自愛を!
小林 秀芳 (60期6組)
From:
n-uehara0816@spa.nifty.com <n-uehara0816@spa.nifty.com>
Sent: Tuesday, May 18, 2021 5:56 PM
興味深い資料を送っていただき有難うございます。
蚕糸専門学校(現信大繊維学部)誕生の詳細(歴史的背景)が
よく分かりました。
実は、私の実家は上田市常田3丁目で、繊維学部のすぐ隣です。
子供の頃、大学の構内は恰好の遊び場でした。
正門入ったところの卓球場、奥まった場所にある広い
野球場(グラウンド)などで毎日遊んでいました。
昔は開放的で、うるさいことは言われませんでした。
少し前に、上田高校同窓生の進学先を調べたことがあり、
信大繊維学部への進学者の多いのに驚きました、
我々65期は、信大81名のうち繊維学部は18名でした。
(ちなみに60期は信大79名中、繊維学部13名でした)
繊維学部入学が一番多い期は47期で、なんと58名入って
います。繊維産業が勢いのある頃で、繊維学部出身者も
元気があったことと思います。
最近の繊維学部はどうなっているのでしょうか。
上原 昇(65期)
On Sunday, May 16, 2021, 07:22:10 PM GMT+9, <dsbzb508@ybb.ne.jp> wrote:
上田蚕糸専門学校開校物語
(信大線維学部同窓会誌千曲会報に掲載)